バナー 老科学者の繰り言 論理と科学を語る

トップ 数値の表現 科学と論理 科学の周辺 番 外 プロフィール

 



新聞記事に見る 日本語表現の論理の乱れ

比較の対象 一見明瞭意味不明

生存率の予測、医師かAIか
人工知能(AI)が、臓器移植前の患者の余命をも予測する。医師だけで判断するこれまでの常識は変わりつつある。(記者名 省略)
(前段落略)心臓移植の臓器提供者が現れた時、その患者が本当に最適かを移植施設が判断するためのシステムだ。(以降、一部省略して簡潔化)米C大学が開発したもので、 生存率をAIが予測し、最適な(臓器)受容者を指示する。同校付属病院が昨年、運用を実験的に始めた。(簡略化終了、以下 直接引用)AIは、「全米臓器分配ネットワーク」が 2015年までの30年間に集めた約10万人分のデータなどから学習した。(中略)(AI判断法を)過去のデータを使って確認したところ、 移植後実際に3年間生存していた17,441人のうち、AI以前に比べて2442人(14%)多く生存者を予測することができたという。(後段略)(注1)
朝日新聞 2019年4月14日朝刊 4面。シンギュラリティーにっぽん 第1部 未来からの挑戦(シリーズ)2

同記事の「17,441人のうち、AI以前に比べて2442人多く」の文章で、”のうち” と ”比べて” が何を言いたいのか全くわからない。 AIの実験的運用は昨年開始されたと記事にあり、AIで判断された受容者の3年生存率は未だ明らかでないはずだ。 もっともこのような臨床実験では、当初設定された経過観察期間(この場合3年間)を経ないうちにでも、著しく良い/悪い結果が途中で判明した場合には、 方針が変更されることはありうる。AIDSに対するある治療薬の臨床試験では、途中結果が大変に良好で、二重盲検法で疑似薬(プラセボ)を処方される患者への 倫理的配慮から臨床試験が途中で打ち切られ、対象(希望)者全員にその治療薬が処方されたという経緯があった。 しかし、AI判断を受けて移植手術を受けた患者達が手術後良好な結果を示したとしても、結論を出すには早すぎるだろう。

臓器移植にかかわるネットワークには、提供者(ドナー)の情報も含まれているはずだ。提供者の個人情報、既往歴、死亡原因、摘出手術の医療機関などの情報である。 しかしここでは「生存率」が問題となっているから、その10万人には提供者は含まれていないだろう。つまり、受容者側情報として10万人と考えるのが妥当だ。 しかし次に、受容者側の ”希望者を含む全リスト” なのか、”実際に移植手術を受けた患者” なのか、という点がこの記事では明瞭でない。 10万人に対し17,441人とは約17%に相当する。国際心肺移植学会が報告している心臓移植後の累積生存率によれば、3年生存率は70-80%であるので、 この17%はあまりにも低い値である。したがって、この10万人は実際に心臓移植手術を受けた患者数ではなく、移植を受けられなかった患者も含めた、 移植希望患者の数だろうと推定する。つまり、登録者10万人中、約2万人が実際に移植手術を受け(逆算による)、その内1万7千余が3年生存したと推測する。

したがって、「AI以前に比べ。。」の文章を明確化すると、「実際に3年間生存していた17,441人に加え、このAI判断によるとさらに2442人分、3年生存率を高める効果があると 予測している」と表現したいのではないかと思う。(注2)

しかし、考えていただきたい。提供者の心臓が余すことなく移植手術に使用されているとの前提では、移植心臓をこの人に与えるのか、別の人に与えるのか、ということである。 したがって、AI判断ならば与えられなかっただろうこの2442人の多くは、手術後に心臓移植手術を受けられた喜びを感じ、3年には至らなかったものの短期間、回復の幸せを感じたことだろう。 それが、その人達にはそうした機会が無くなることを意味するのだ。この点が心臓移植手術などにおける ”最適化” の裏面である。 人の運命をAIに任せてよいのか、だからこそ人の判断ではなくコンピューターにゆだねるべきだ、と両意見があるところで、大いに考えさせられる問題である。

もう1つ付け加えたい。この場合10万人規模であるからBig dataというほど大規模ではないかもしれない。しかし、このような既存のデータセットを基に学習するAIでは、 与えたデータセットに対して最適化のアルゴリズムをコンピューターが組立・計算するのだ。だから、与えたデータの中で 、過去に遡って最適化していたら一層効果的だという結果は そのシステムの有効性を宣伝する一例にはなるだろうが、真価を問われるのは、全く別のデータセットを与えた時にも効果的な結果を算出できるか否かなのだ。 学習AIは与えた当初データに依存する。したがって、当初データで最適解を算出するのはある意味”当然”のことである。 また、次のデータセットを与えた時に、さらに自律的に学習していくシステムだと、コンピュータが何を判断し、どう変えたのかが人間にはわからなくなってしまうという問題があることを指摘したい。

本ページの問題は、数値の表現、科学の論理、新聞記事に見る日本語の論理、情報など、「老科学者の繰り言 科学と論理を語る」の様々なテーマにかかわる問題である。