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細菌の細胞集合体の研究 補足

私の大学院生時代の研究、細菌の細胞集合体の研究について、概要を前のページに記載した。 そこに記載したいくつかの用語についての補足説明をする。


連鎖状の桿菌

桿菌の仲間にも連鎖状となる細菌が知られている。炭疽菌 Bacillus anthracisは炭疽症を引き起こす病原菌であり、細菌群の中ではやや太く、 かつ長軸方向に連なった形態を示すことが知られている(5~10マイクロメータ)。連鎖桿菌

とぐろを巻く大腸菌の撮影

桿菌は液体培養中で単独(1細胞)で存在することが多いが、それは、細胞分裂した後に2個の嬢細胞が離れるからである。もし、細胞分裂後も離れない/離れにくい環境を作ってやれば 、連鎖桿菌様の集合(集落)を作ることができる。

私は国立遺伝学研究所微生物遺伝部に在籍中、誰かの依頼でそうした映像の撮影に協力したことがあった。依頼主は今となっては明確ではないが、出版社関係ではなかったかと思う。 また、協力依頼は当然、当時の研究部長である廣田先生宛であった。依頼者の当初の要望は「細菌の細胞分裂する様子を動画として撮影したい」というものであった。 ビデオカメラは1969年SONYの民生用カメラに始まるとされているので、当時存在していたはずだが、実際の現場では8mmや16mmフィルムによる映写が主流であった。 フィルム映画自身いわばコマ落ちで、1秒当たり24コマであるが、長時間を短時間で見せるような映像はさらにコマ落ちで撮影する。 パラパラ漫画やアニメと同じ原理、さらには最近はやりらしいタイムラプス動画と同じ原理だ。

一方、検体(サンプル)つくりは私が担当した。これが結構大変だった。
材料は手近の大腸菌とした。大腸菌の倍化時間 doubling time、つまり細胞分裂と分裂の間の時間は15分から20分と言われているが、 遺伝学や分子生物学分野で扱われるいわゆる実験株 laboratory strainでは15分というのはまず無い。良くて20分、さらに少し長いだろう。 また1980年頃からの組み換え実験に使われる株ではさらに長く、またプラスミド plasmidを持たせると1時間以上にもなる。このことを知らない研究者も案外多い。さらに、顕微鏡下で経時的に観察するのは条件が悪く、 この時の撮影も1サイクル(倍化時間)が30分以上だったと思う。

次に、対象の細菌を一定時間動かないようにしなくてはならない。そこで、粘着性の培地に埋め込むことにした。シャーレに通常の栄養培地を普通に作り、その上に スライドガラスを載せてから、別に培養して増殖盛んな対数増殖期 log phaseにある大腸菌培養液を一定希釈し、粘着成分混入寒天培地を混合し、スライドガラスを載せたシャーレに薄く撒いた。 その後、しばらく37度でインキュベートした。増殖盛んなlog期の大腸菌であっても処理の間に少し”痛み”、増殖再開するまで少し時間を要するからだ(lag phase)。

その後、低倍率の実体顕微鏡で様子を観察し、適度な時期にスライドガラスを取り出し、背面を清浄し、一定の視野を決めてカバーグラスを掛け、 余分な領域の薄い培地層を除去し、カバーグラスの周辺を蝋などでふさいだ。廣田研究室では細菌株保存用のスタッブもコルク栓に加えて蝋で封印していた。

そのスライドガラスを顕微鏡下で観察し、経時的に写真を撮るのだが、これまた大変である。大腸菌をよく観察するのには高倍率の対物レンズが好ましいが、そうすると 対物レンズと試料との間隙(warking distance)が狭くなる。増して油浸などは、油の流動の力が相当強く、経時的に一定の視野を確保するのが困難だった。大腸菌の細胞分裂を見ながらも、マイクロコロニー全体を視野に入れるには、対物レンズはx100 (場合によってはx40)のレベルで充分だった。

次に問題となるのは恒温性さらには一定の湿度である。スライドを載せるステージ全体を恒温恒湿度にする装置は装着したが、なにせ開口部もあり、その性能は必ずしも高くなかった。 さらに、顕微鏡の光源からの発熱が大きい。そのため、シャッターを切るときだけ顕微鏡の光源を入れるという手間が生じた。

さらに問題は、撮影開始当初に視野の丁度良い位置に細菌をセットしても、果たしてそれが、その後好調に細胞分裂を繰り返すとは限らない。”活きの良い”大腸菌と言えども 生菌の割合は全菌体数の100%ではないからだ。したがって、 何度も撮影し直すことになる。しかし、何回か撮影した中で(具体的にどの程度長く試行したのか、記憶にないが)、それなりに良好な動画を取ることができた。 細胞分裂を繰り返すのだが、一直線となることは無く、途中でどこかで滑って2列になり、また、別の列を形成してしまう。 しかし、各列が次第に長くなり、視野を覆いつくすように増殖する様子が撮影でき、早送りで見ると、まるで”とぐろを巻く”かのように増殖する大腸菌像が得られた。

映像化すると一般の人にあるインパクトを与えることができる。それが科学映画の重要な点だ。ただその撮影の背景には大変な苦労があるだろうということも 実際に作成者側に回った経験からよく理解できる。

追記

最近、断捨離を一段と進めていて、段ボール箱に残してあった過去の書類・記録等を整理している。その過程で、製本までして整理してあった一連の実験記録とは別に、 単発作業の記録類も見つかり、その中に以下の記述があった。

E. coliの増殖と分裂の映画撮影  1979.02.01
NHKの依頼により、E. coliの増殖と分裂の映画を撮影することになった。
NHKの意図: 遺伝子操作に関する科学ドキュメント番組の中で、大腸菌という”もの”はこんなに速く細胞分裂し、速く増殖するものであるとの印象を与える画像を得たい。 微速度(コマ落ち)で、当初一匹の大腸菌がやがて画面一杯になる過程の映像を得たい。
これに対し、広田部長は、細菌が単に細胞分裂する状態を撮影するだけでは”面白くない”。広田部長自身の興味として、核が判る状態で細胞分裂する様子が興味深い、と話されたらしい。 NHK側は一定了承している。

課題
1)核を見られる状態の検討
2)映画撮影のための機材 Zeiss MicroCineが作動することの確認
3)growthに伴う、乾燥、温度制御の問題
注記:大腸菌などの細菌は「原核生物」であり、哺乳動物にみられるような核膜に包まれた構造体としての「核」「細胞核」は無い。 しかし、遺伝物質としてのDNAを保持していて、細胞内に、ある程度の塊として、まとまって位置している。これを俗に「核」と呼んでいる。染色すると明確となるが、そのためには通常、細胞を殺すことになる。位相差顕微鏡では細胞内構造を一定程度識別することができ、核様のまとまりもそれなりには認めれる。