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今回の新型コロナウイルス問題を2009-10年の新型インフルエンザの社会事象を思い出しながら理性的に考えよう

今回の新型コロナウイルス問題について、韓国があれほど素早くかつ大規模に対応を進め、また台湾もそうであることを、これらの国がSARS(重症急性呼吸器症候群、主に2003年) MARS(中東呼吸器症候群 2012年以降)によって少なからずの”犠牲者”を生んだことに対する反省から感染症対策が進んだのに対し、我が国では全く”犠牲者”を 生じなかったから対策が進まなかったのだという意見がある。 そうかもしれないと一定程度同意できる点もあるが、しかしそれよりも、2009年からの新型インフルエンザ (当時、一般にそう呼ばれた。正式名称は、 インフルエンザ(A/H1N1)である。また外国では豚インフル swine fluと呼ばれるが、これも swine flu H1N1の方が良い。ここでは新型インフルなどと省略して 表すこともある。) に対する厚生労働省をはじめとする政府の対応、世間の動向(マスコミの主張)、国会での審議など一連の流れ(社会現象)を、 実際の発症者・死亡者数などとともに振り返ってみることは、今回の新型コロナウイルスについて(感情的でなく理性的に)深く考えるために非常に重要だと私は思う。

2009-10年の新型インフルエンザ事象

当時の新型インフルについて国立感染症研究所のページに まとめられているが、多数にわたり、また分断されているのでわかりづらい。 一方、厚労省のサイトには、今回の新型コロナウイルスの専門家会議のメンバーである岡部信彦氏による  総括プレゼン資料があり、 こちらの方が包括的に理解しやすいかもしれない。 また、今回の件でマスコミにも登場するWHOの進藤奈邦子氏の 総括資料もあった。 一方、ウィキペディア wikipediaにもまとめ記事がある。世界の状況我が国の状況を対比させながら読むと良い。 私はこれらの記載がすべて ”正しい” のか検証したのではないが、概ね私の記憶に合致している。

岡部氏の総括に「騒ぎすぎ?やりすぎ?」とあり、ウィキペディア日本における 2009年新型インフルエンザにも、参議院内閣委員会の議事録から山谷えり子氏の発言として 「その決定は、だから正しくなかったんですね。 結局、弱毒性で、はやりもなかったということでたくさん余っちゃったんですよ、注文したのが。だから、外資の製薬会社に違約金を払わなければならなくなりました。」と引用記載されている。 しかしこんなことは、結果的に ”収束”してしまった後だから言えることであって、途中の経緯はそんな生易しい物語ではなく、喧噪であり、情緒的・劇場形であり、また それに右往左往する(させられる)関係者達といった構図ではなかったか。と私は記憶している。

この新型インフルが問題視されたのは2009年春(4月頃)にメキシコや米国で発生したインフルが「通常のインフルより重症化し易い」と指摘されたことに起因する。 WHO(世界保健機関)は当初から注視していた(と思われる)が、具体的な行動は少し遅く、国際世論に押される形で「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」宣言、 さらにそのフェーズを段階的に引き上げていった。今回の新型コロナに対するWHOの動きを遅い、遅れたと非難する傾向と同じであった。
日本の感染症対策の基本はWHOのフェーズに合わせるところがあり、フェーズ4の発令を受けて4月28日に「新型インフルエンザの発生」を宣言し、対策本部を設置した。 ほどなく5月9日にH1N1患者が空港検疫で発見されるのだが、それ以前に、少し重症のインフル患者が見つかるたびに新型か?と国全体が緊張し、 また感染者やその周辺の人達に対する誹謗中傷の問題が生じたこともまた今回の新型コロナと同様である。全く学習効果が無い

その後も一定数の患者を数えるのだが、政府は5月22日に新たな「基本的対処方針」を決定した。H1N1は強毒性ではないとの厚労省の見解に基づいた方針変更であったが、 対策の緩和と受け取めた人達がいたことも事実である。1つの判断に賛否両論があるのは当然のことである。しかし政府にとって ”不幸”だったのは、その後、夏(7月下旬から8月にピーク)に沖縄県で H1N1感染者数が爆発的に急増したことであった。当然、5月の政府の方針変更を緩和だと批判していた人は批判を強める。 通常のインフルには季節性があり、寒い時期、1-2月にピークを迎えることが多い。 それが夏であったことも意外性として受け止められ、そしてその患者では厚労省の見通し通りに重症化例はわずか(沖縄県だけで22万人のH1N1感染確認で、3名の死亡例)であったが、 軽症者ならびに感染を心配する人達(健常者)が多数、沖縄の医療機関を訪れ、通常の医療活動が不能となってしまったのである。 つまり、医療崩壊がおきたのである。

インフルエンザに対してはワクチンが開発されていた。しかし、インフルエンザはRNAをゲノムとするウイルスであり、DNA型に比して突然変異率が高い。これはそれぞれの合成酵素である ポリメラーゼの忠実度fidelityの違いもあるが、それよりも、RNAは1本鎖であり、相補鎖を頼りに誤りを修正する機構が無いことによる。 一方で、主要抗原は(インフルエンザウイルスA型では)H=ヘマグルチニンとN=ノイラミニダーゼであることが判っている。基本構造は既知であるが、突然変異によって エピトープが少し変化する。エピトープとは抗体が認識する抗原の一部分の構造である。古典的なワクチンは弱毒化したウイルス(全体、 あるいは粒子と言ってよいかも)であることが多いが、2010年当時を含む近年では人為的に合成したエピトープを用いたりした作成法等様々な進展が図られている。 しかし、流行する前にやがて流行するだろうウイルスの型やエピトープを予測することは依然困難であり、また実際にワクチンを作成して試験してみない限り、効果の程度(および副作用の程度)を 見極めることはできない。

にもかかわらず、世間は大合唱した。2010年1月から2月くらいに流行が予想される新型インフルに対するワクチンを準備せよ!と。 それに対して厚労省は作成量が限定的であるからワクチン接種する対象群を絞り込み、かつ優先順位をと提案した。インフルエンザは(一般的に)学童・児童に拡散し易いので、 学童>高齢者>持病のある人 という順位を提唱する人もいれば、実際の重症化率・死亡率は高齢者群の方が高いから、高齢者>学童>持病のある人の順にと返す人がいた。 消防・警察は社会に必要だとある人が言えば、自衛隊員も必要でしょうとなった。結局は、優先順位付けは進まず、準備数を拡大に次ぐ拡大ということになった。 パイを大きくすれば誰も傷まないとの発想である。ついには国民の半数以上をカバーする数量にまで膨らむことになった。
一方、秋口になるとH1N1感染者数が増加していった。結果からみると、第47-48週あたり(11月中)がピークであったが、常識的には1-2月がピークであり、11月までの感染者数の上昇は 1-2月の格段に多いピーク感染者数を予想させるものであった。このことがワクチン生産要求を加速させ、また後記するような各種衛生用品の(結果的に生じた)過剰生産の主因でもあったと考える。しかし実際には、12月になると感染者数は急速に減少し、翌2010年1-3月くらいまで少数例でくすぶり続けるものの、結果的には感染者数の顕著な増加は起こらなかった。
政府が正式に第1波終息宣言をしたのは2010年3月31日であったが、すでにその頃には国民の関心が向けられる事象ではなくなっていて、むしろワクチンの余剰を非難する声ばかりであったことを 私は鮮明に記憶している。 

関係者の証言や検証

内閣府新型インフルエンザ等対策に特設されているページ スペインインフルエンザ発生から100年 2009年の新型インフルエンザA(H1N1)発生から 10年 は今回新型コロナウイルス出現以前に準備されたページである。ここに記載の「過去のパンデミック レビュー」の 第3-4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第14-15回は 2009-2010年の新型インフルに関係したものであり、その内容はなかなか興味深い。是非一読されたい。

キーワード・フレイズを拾ってみる
第5回 「国内初!」事象の経緯と課題・教訓 元神戸市保健福祉局長 櫻井誠一氏 神戸での高校生発症例の記者会見に臨んだ方 
第9回 「未知の感染症」をどのように報じたのか? 日本経済新聞社編集局社会部次長 前村聡氏 
水際対策をめぐる報道~検疫で上陸防止の誤解   マスクをめぐる報道~予防のため着用で混乱   初の患者をめぐる報道~未知への恐怖で誹謗中傷

衛生資材に関連する最近の報道

例を挙げよう。 アルコール消毒液が大増産でも店頭に並ばない意外な理由  ダイヤモンド 編集部 新井美江子:記者 DIAMONDonline 2020.04.16   容器、特にその重要部品が中国産であることも関係するのだが、何よりも、記事が指摘するのは 『新型インフル流行時の“教訓”』 である。結果的には”逆作用”となるのだが。
以下引用 当時の消毒液メーカーの増産意欲は今の比ではなかった。新型インフルエンザに流行の兆しが表れた瞬間、一気に数十万本単位で容器の発注を掛けた メーカーがあったほどで、それまで消毒液用を手掛けていなかった容器メーカーもこぞって生産に乗り出した。しかし、新型インフルエンザが終息すると瞬く間に消毒液は売れなくなり、 行き場を失った容器は最後、インターネットで1円で投げ売りされるに至ったという。感染症の流行特需に左右される消毒液の容器製造はもうからないと身をもって実感した容器メーカーは、 安易な“再参入”に今も慎重なのだ。 以上引用終了

このように、国民の大部分はとっくに忘れてしまっている(ようだ)が、今回の騒ぎは10年前とほとんど変わっていないことが残念である。

追記 新型インフルを教訓にした医療機関

報道で知ったので、追記する。
発熱患者を拒まない町医者 感染対策 徹底「早く病気から解放してあげたい」 毎日新聞 5月18日 から 抜粋して引用 太字はここでの編集。  『埼玉県春日部市の住宅街にある「あゆみクリニック」の藤川万規子院長』 『発熱外来を設置』 『感染拡大前は、親しみを感じてもらえるようエプロン姿で診療した。 今は「近い距離でも安心し合えるように」とフェースシールドや防護服を着用。一見すると物々しいが、表情は柔らかい。「優しくて大好き」。患者からの信頼も厚い。 医療用ガウンやマスクなど防護具が国内各地で不足するが、11年前の新型インフルエンザ対応を教訓に備蓄を多くした同院は、スタッフ全員が防護服を着用。』

新型インフルエンザを教訓に

感情的ではなく、理性的でありたい。(可能な限り)証拠に基づき、理性的に、議論が展開されることを切に希望している。