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年賀状に記した近況報告-現役の時代 1997から2009年

干支のイラストや家族写真の年賀状が普通だが、私の年賀状は近況報告を兼ねた文面である。いつの頃からそうしたかは、今となっては定かではないが、 1990年頃には既に近況報告文面年賀状であったようだ」と前ページに記した。 最近断捨離を一段と進める過程で、現役時代の年賀状が見つかった。1997年以降で、ファイル形式はdocだった。それ以前はMicroSoft社 Wordではなかった可能性がある。見つかった1997年から2009年分をここに記載した。1998年と2000年は喪中で変則。

私の近況報告文面年賀状は全くの定型で、文頭に「謹賀新年 20xx.01.01.」、文末に「皆様には、よいお年でありますように  氏名 住所など」であるから、それらは省略し、また、文面の一部を伏字とした。

1997年年賀状

昨年1996年は、エイズ薬害、大腸菌O157、老人養護施設をめぐる不祥事など、厚生省に関わる問題が多発し、厚生省下の職員として大変肩身の狭い思いを致しました。 根底には、責任の所在を曖昧にし、またカイワレ大根が店頭からいっせいに消えるというような、日本の国民性もあると思います。責任、特にaccountabilityの重要性を思います。 研究面では、国立小児病院の臨床の先生とともに、孤立性黄班低形成症の責任遺伝子を同定できました。トリプレットリピートの伸長による歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症DRPLAの研究にも 進展が得られました。情報発信を図るべく、インターネット、イントラネット用のサーバーを立ち上げました。 http://genetics.nch.go.jpです。 まだ充分には整備できておりませんが、ご覧いただければ幸いです。 補記 nchサーバーは現在2020年 には存在しません。

1999年の年賀状

とうとう50歳の大台に到達しました。最近の一年一年の進みがとても速く感じられます。 研究室では、数年前に神経変性疾患で3塩基反復配列の伸長を見出していましたが、その神経細胞が死ぬ分子機構の研究や、さらに眼や腎や肝の形成異常症の責任遺伝子、 アポトーシス機構研究など順調に進行しています。これも20名強と満杯状態の構成員との成果で、私自身はベンチワークよりもデスク(=コンピューター)ワークへと、 2001年に改組が予定される成育医療センターや研究費に関するマネージメントに忙殺されております。 研究の筋立てを考案し、原稿を練って、質の高い専門雑誌に論文が受理されることに生きがいを見出しています。
  妻XXは実家の父母の健康を気遣う日が続き、娘XXは大学に進学して部活動に余念なく、息子XXは見上げるほどの身長に成長しました。

2000年の寒中見舞 兼 年賀状への返礼

お年賀状ありがとうございました。
私は2年前に続き、再び喪中のため年賀状を控えさせていただきました。義父XXXXは8月6日に85歳で、義母XXXXは10月3日に79歳で逝去いたしました。 義母は三年余前に多発性骨髄腫の診断を受け、在宅での療養を希望し、しかしまもなく下肢麻痺で動けなくなりました。義父は高齢ではありましたが看病に努め、 最後の力を出し切ったかのように逝きました。妻XXは実家へ頻繁に通い、また6月からは義母を神奈川の自宅に引き取りました。義母の意識は最後まで明瞭でしたが、 義父の49日忌が無事済んだのを見届けると、安心したかのように義父のもとへと旅立ちました。 もっぱら妻がしていたことですが、介護の重要さと大変さを痛感し、また近隣の良き医師・訪問看護・友人に恵まれたことを感謝しています。 11月12月と超多忙のため喪中挨拶状を出しそびれ、連絡が遅れましたことをお詫びいたします。

2001年の年賀状

例年、年賀状にて近況報告をしてまいりました。昨年は、普通のことが日常的に多く発生し、高速定常状態であっという間に過ぎてしまった年であった気がします。 研究室では、3塩基反復配列の伸長による神経変性疾患とその神経細胞死の分子機構、眼・腎・肝の形成不全症の責任遺伝子研究とその発生・分化の研究から 再生医療への応用等について進めております。勤務先の国立小児病院(小児医療研究センター)は2001年度(2002年3月)に国立成育医療センターへと改組が予定されており、 その準備に係わるマネージメントにも忙殺されております。
妻XXは「50歳過ぎたら誕生日ごとに1年づつ若返る」ことを実践しており、娘XXは大学3年生で就職活動を開始し、日本経済の成り行きに敏感となり、息子XXは高校2年生で、 バイオ関連を目指したいと言ってくれるようになりました。

2002年の年賀状

昨年9月11日に発生した同時多発テロ事件によって、研究生活も大きな影響を受けています。外国人研究者の来日が多数キャンセルされ、今後の国際シンポジウム設定も困難となり、 また、郵便物にも気を使うようになりました。勤務先の国立小児病院はあと2ヶ月すると国立成育医療センターへと改組される予定です。同じ世田谷区ですがもう少し郊外に位置する、 (現)国立大蔵病院地に巨大な病棟が既に完成し、病院部門は3月1日に移転します。しかし研究所は約3年間現在地にとどまり、その後、病院と同地に移転する予定です。 機関名・職名は当然変更になりますが、それに加え、各種のシステムが変更になり、電話番号も変更になると聞いていますが未だ決まっていません。 nch.go.jpも変更の可能性がありますが、少なくとも当分の期間は維持します。
この春に、娘XXは大学を卒業し、会社勤務を始めますが、自宅にいてくれそうです。息子XXは大学を受験しますが、どうなるでしょうか?

2003年の年賀状

私の勤務先は2002年3月に国立成育医療センターとして改組され、厚生労働省下の第5番目のナショナルセンターとなりました。 受精・発生分化・胎児・出産・成長発育・思春期・生殖というヒトのライフサイクルに沿った各段階の医療が成育医療であり、研究所はそれに対応した基礎的および戦略的研究を追求します。 遺伝はライフサイクルを回す基本機構であり、原動力を担っていきます。研究所は約1年半後に移転を予定し、現在、旧大蔵病院地で建築が進んでいます。 将来に対する期待が膨らむ一方で、改組に伴う影響も蒙りました。
娘XXは就職し、通勤事情から都内にセカンドハウスを借りました。妻XXは自宅・娘宅・親から継いだXXの家と3ヶ所を忙しく回っています。息子XXは大学生活を始めましたが、 サークル活動や交友に忙しく、本業は?

2004年の年賀状

私の勤務先は、一昨年にナショナルセンターとして改組され、また本年9月頃に病院部門地(世田谷区内ですがさらに郊外の大蔵)に移転を予定しています。 計画設計段階から研究場所を考案できるのはめったにない機会で、当初から積極的に係わり、いろいろな設計理念を盛り込んできました。 建築中の研究棟はすでに躯体が組みあがり、内装工事が進行中です。この過程は楽しかったのですが、しかし、予算削減で突然地下1階-地上8階から、地上のみの9階建に変更になったり。 当初からそうなら、別の設計もあったのに等々、現実を前に夢が小さくなってきた今日この頃です。
妻XXはメークアップや着付けを習い、時々老人ホームなどでボランティアとしてその技術を活かしています。娘XXはほとんど「巣離れ」し、息子XXも二十歳になり、期待されるのは脛ばかり。

2005年の年賀状

昨年は、オリンピックなどの明るい話題はありましたが、国際社会は問題を解決できず、また自然災害が多発し、欝な年でした。私の心の反映でしょうか? 勤務先の新研究棟が世田谷区大蔵の病院部門の土地に完成し、昨年9月、1ヶ月間をかけて移転しました。設計の中途で、建築費削減を理由に、それまでの地下1階-地上8階から ほとんどそのまま1階分もち上がり、地上のみの9階建に変更になりました。設計理念が異なって固定化してしまった「現実」に寂しさを感じるこの頃です。 移転後遺症として、探し物に時間を消費しています。建築・移転の過程で、単純な数・サイズ・規格の間違いに頻繁に遭遇し、 学童・生徒の「学力低下」のみならず、我国の民度も低下してしまったと憂います。いずれにせよ、移転によって1つの節目を迎えました。

2006年の年賀状

今までなら考えもつかなかったような事件が多発し、また、気象など自然もまさに異常で災害が多発し、いったい「現代」はどうなってしまったのでしょうか? ヒトは地球生命体の一員でありながら、進化の観点では既に逸脱した存在と私は考えていましたが、あまりにも文明の恩恵を受けすぎたのか、 衣食住という生存の基本に対してさえ、五感で対応できない状態になってしまったように思われます。いまさら野生に帰って野性に戻ることはほとんど不可能でしょう。 自然科学に従事し、文明の推進に「加担」してきた一人として、考えさせられることが多い日々です。

2007年の年賀状

昨年、韓国黄教授のES細胞に始まり、阪大・東大で論文捏造が露見し、科学研究は社会の厳しい批判を受けています。日本学術会議から「科学者の不正行為の防止」が提言されましたが、 私は、不正防止というネガティブ視点ではなく、誠実な確固たる科学を行う(science integrity)というポジティブ志向でありたいと考えます。 今日の科学研究では、成果の経済的効果が期待され過ぎているのではないでしょうか。研究成果は廻り廻って、将来どこかで活用されれば良いのであって、 直結を意図すると誠実から乖離しやすくなると思います。儲けに繋がる成果が無い者の僻み?

2008年の年賀状

団塊世代の一人として、浸潤する老に抗する策は尽き果てて、抗から無為、無為から従順と適応の道を辿りつつ、果たして会得の境地に達し得ようか と思う昨今です。 科学者として文章を読み、作文する日常から、日本語・英語のどちらも、言葉に深いこだわりを持つようになりました。ウエブにもいくつか記載しています。 「適当」は数年前に放棄したことなので、「的確に行う」ようにした結果、「良い加減だ」と自分では思っていますが、「いいかげんにしなさい」とお叱りを受けます。

2009年の年賀状

いよいよ定年退職する年を迎えました。 小児+成育の24年間の研究生活では、DNA組換え技法を医学分野へ応用し、展開を図るという目標に沿って、 満足できる成果を挙げることができました。社会からの研究の支えと、多くの良き共同研究者に恵まれたおかげで、大変感謝しております。 60歳のこの時を意識して備えてきました。すでに実験台を離れ、考える頭とnetさえあれば、どこでも知的に生きられると高をくくっておりました。 しかし、準備不足に加え、体力低下(認識力も怪しくなったと家族から指摘+自覚)で、初期高齢者の生活はどんなことになるのやら?