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年賀状に記した近況報告

干支のイラストや家族写真の年賀状が普通だが、私の年賀状は近況報告を兼ねた文面である。いつの頃からそうしたかは、今となっては定かではないが、 1990年頃には既に近況報告文面年賀状であったようだ。退職以降、年々年賀状の枚数を減らしてきた。断捨離の一環で、ピークを過ぎた人生の処し方と心得てきた。 退職後のいくつかの年賀状文面をここに記載し、出さずに済ませ方への詫び状としたい。 私の近況報告文面年賀状は全くの定型で、文頭に「謹賀新年 20xx.01.01.」、文末に「皆様には、よいお年でありますように  氏名 住所など」であるから、それらは省略し、また、文面の一部を伏字とした。

最近、断捨離の一環で整理中に、現役時代の文面年賀状を発見したので追加掲載した。 年賀状 1997年から2009年

2010年年賀状

昨年3月に職場を定年退職し、6月末にXXに転居しました。これまでの研究者としての人生には満足できましたので、初期高齢者となった今、これまで (ほとんど)放置してきた家庭・家族を大切に過ごそうとしております。妻XXが両親から受け継いだ家は、両親の逝去の後、人手を掛けられなかったこともあり、 庭作業を進めるとみるみる変化し(草や蔦に絡まれた木々を救出、埋もれていた石製の飾りや溝を発掘)、妻は、子供時代の思い出が戻ってきたと喜んでいます。 私も、退職時頃には筋肉の衰えで52-3kgにまで落ちた体重が回復してきました。
一方で家の中は、いわば三世帯(東京近郊の住まい・XXの住まい・職場)が一緒になったようなもので、当面二人が生活できるスペースは確保したものの、 依然荷物が積み上げられていて、皆様を我が家にお泊めするにはまだまだ時間が必要です。その間には、私の料理のレパートリーも増えることでしょう。

2010年年賀状への補足

私が現役研究者時代、今の ”働き方改革” とは ”ま逆” の生活をしていた事は関係者一同よく承知のことで、年賀状で「家庭・家族」と記したから、 皆 ”さもありなん” と思っていただいた。一つだけ加えると、この「家庭・家族」には遠隔地に住んでいた私の母も含まれていたことで、このことは限定されたごく少数の 関係者だけしか知らなかったことだ。私の姉が近所に住んでいて、それを頼りにほとんど最小限の関わりだけで過ごしてきたが、退職を機に改めた。 以降、1月に1度は会いに行き、1週に1度は1時間以上電話での話につきあうことを数年間続けた。またこの間、母はサ高住に移り住んだが、 その時に母の品々を整理し(いわば生前分与)、私はアルバムと写真類のほとんどをもらった。この写真が電話で長話する時に大いに役に立った。 観光旅行の記念写真やスナップ写真にはどこかに景勝地の名がわかる物が映り込んでいる。それを手掛かりに、「一緒に写っている隣の人は誰?」などと母の昔の記憶を呼び覚ます。 「あーそうそう、それはね。。」と続けばこちらは聞き入って合いの手をいれるだけでよい。「忘れた」などと答えが返ってくる時には、何か不愉快な思い出が絡んでいるなと察して、 以降はそれに触れないようにする。母とのかかわりは、最後の1-2か月を除いて介護というレベルではなかったが、サ高住、老人ホーム、介護施設などとの契約を通じて 介護保険制度や保証人・後見人制度などの制度と実態、さらには医療・患者の意志・尊厳死問題などを学べる機会であった。これは母のためだけでなく、 自分の今後のためと考え、しっかりと受け止めて学んだ。母が亡くなったのは2014年夏のことであったが、2014年正月に母を訪れた時に、(少なくとも) 私の退職時以降の私の付き合い方に感謝の言葉を口に出してくれたことが私にとっての大きな喜びであった。
母のことについては、患者にとってどのように病気を理解し、受け止めるのか、などについてもう少し書いておきたいことがある。機会があれば。

2012年の年賀状

3月11日の、未曾有の地震・津波に自然の猛威と人間の非力を感じました。放射線の人体への影響など、マスコミ等で紹介される「科学的」説明にも、 また、人々の反応にも、かみ合わないもどかしさを思います。
科学者としての現役時代に、日本人の書く(英語)論文はなぜ読まれ難いのだろうかという疑問から、論理や哲学、日本語と英語の言語体系を深く考えました。 結局のところ、「和魂洋才」に代表されるように、日本人は明治の文明開化期に、技術を介した「科学の効」は取り入れたが、「科学の本質=考え方」は受け入れなかった、 という考えに至りました。科学的な考え方を、どのように調和させていくのかが、依然として問われていると思います。

2017年の年賀状

衰えた眼でボケっと見ているこの頃です。
小学生低学年から近視で眼鏡が必要で、高校生まで近視度が進み、40代から眼精疲労が激しくなり、また老眼兆候も出てきた。レンズ調節の筋肉が弱いらしく、 焦点あわせが疲れる原因と指摘された。眼鏡度数を順次下げてきて、今では矯正視力0.5程にしているが、ボケボケでも日常生活はさほど困らない。 すれ違う人の表情は読み取れないけれども。さらに、眼鏡をかけないのが一番楽。どこにも焦点が合わないから,レンズが反応しない。 幸いなのは、裸眼の近点(15-20cm)で新聞・本の小さな活字が無理なく読めること。
そんな訳で、昨年の更新時に運転免許証を返納しました。日本で運転したのは、30年前の帰国直後にわずか2回。身分証明書用として保持してきただけですので。

2018年の年賀状

語彙の引き出し。目の前のミカン見て、確かにミカンだと認識しつつ「このリンゴ食べたいな」と発声していて、きょとんとしている家内に驚く。 個人名の引き出しを間違えてしまうことも度々で、赤面の至り。
また、長年使わなかった言葉が突然出てくるようになった。「しぶち」「ひどるい」 ネットで調べると、尾張・東農で使われ、それぞれ、冬の寒い日に降る小雨、 まぶしいという意味とあるが、私にはもう少し奥深い語感がある。18歳で上京して以来封印してきた名古屋弁も、「知っとる」「言っとる」などのトルことばなどを 最近は頻発しているようだ。さすがに「知っとりゃーすきゃー」とまでは言っていないようだが。
長期記憶の顕在化は老化のせい/おかげ?

2019年の年賀状

最近、人生100年時代と喧伝され、いつまでも働き続けざるを得ない社会になってきた。この背景に年金原資問題があるのは承知するが、大変な時代になったものだ。 退職後に、これまでになかった気儘な生活をenjoyしている身には、次世代にも老後の楽しみを持てるような社会を期待したい。 知力体力共にピークがあるのは明白で、この下り坂に沿って生きるという視点。なんでも右肩上がりの発想からの転換こそ、求められる意識改革ではなかろうか。 昨年70歳になり、男の「健康寿命」に限りなく接近し、また平均寿命からも、退職後人生の折り返し点にあろうかという今、一段と身の丈に合わせ、 この近況報告を兼ねた年賀状も、そろそろ止め時を模索したい。

2020年の年賀状

 AI (artificial intelligent人工知能)と聞いてどんなものを思い浮かべるのだろうか。私はAI将棋・囲碁が名人に勝利したインパクトが 大きく、自律学習機能を持つコンピューターシステムだと思っていたが、世の中で使われているAIはもっと広範囲で、時には普通のコンピューターでも AIと称しているものすらある。間違いとは言えまい。実際、AIは60年台にも使用され、それを第1次AIブーム、現在を第3次ブームと分けている人がいる。 スマホもガラケーと対比するとわかりやすいが、スマホも携帯電話mobile phoneの1区分だとも言える。このような技術に関係する用語は時代ともに変化し、 次第にコンセンサスが形成されていくのだが、相手が想定している範疇を測らないと混乱を起こす。 分類も、なぜ区分しているのかという実用面と、根底となる基本機能から考えると面白い。

使わなかった年賀状の文案 2020年

墜落事故が続いたボーイング737MAXではコンピューター制御系の不具合を同社が認めるに至った。操縦士の判断か、コンピューターの判断か。 この件に関し、2001年に起きた日本航空機駿河湾上空ニアミス事故のことが思い出される。事故後次第に複合的要素が明らかになっていくのだが、 少なくとも直後には、TCAS(空中衝突防止装置)の指示に反して降下を継続した907機の機長を非難する声が多かったと記憶する。 私は、PCであれAIであれ道具にすぎず、最終的には人間の判断を優先させたいと考える。しかし同時に、これは私の“願望”にすぎず、 やがては人工知能の発達によって、人間の判断が下位に位置付けられる日が来るのではないか。そのような時代に遭遇しない幸せ!

この2020年文案は、年賀に墜落の話はふさわしくないとの家族の意見で没にした。

2021年の年賀状

コロナウイルスに振り廻された一年でした。それにつけてもまたまた、科学を根底から理解しようとせず、表面的・感覚的にとらえて済ます社会とのギャップを痛感します。 春の頃、くだんのウイルスが3日間生存すると聞くと、その実験条件を思い浮かべることなく、また定量的に理解しようとしない。つい最近も、ワクチンの有効性が90%だと聞けば、 その意味も知らずに大はしゃぎ。2009年の新型インフル騒動の経緯はすっかり忘れ去られている。
今回の大混乱の根底に経済効率の過度な追求がある。短期的な利益を求めるあまり、人文科学・基礎科学は無論のこと、 医療・保健分野でも弱い部分(細菌・ウイルス学、保健所など)が大きな皴寄せを被ってきた。日頃からの余裕こそ危機への対応力の源泉である。

2022年の年賀状

私の事情により、2022年の年賀状は出さないことにいたしました。「皆様には、よいお年でありますように」

こんなところまで見ていただきまして ありがとうございました。