細菌の細胞集合体の研究
私の博士論文は「細胞の表層と機能」という一段と大きな表題としたが、その中核は細菌の細胞集合体の研究である。 その概要とともに、その研究にまつわる様々なことを振り返る。
細菌の分類
物を分類するのに、その外観の形状は一つの大きな指標である。 細菌を形状に従って分類すると、桿菌、球菌、らせん菌に分けられる。桿菌とは細長い棒状あるいは円筒状で 英語では rodであり、残り二つは文字通りである。 桿菌は、多くの場合、長軸の中央で、その長軸に直交する面で細胞分裂し、2個の細胞(嬢細胞あるいは娘細胞)となる。 細胞分裂後にはその2個の細菌は離れることが多く、液体培養中では単独の1細胞として存在することが多く、 せいぜい、分裂途中の2連結状態が見られる程度である。桿菌についての補足を別ページに記載した。
それに対して球菌では、肺炎双球菌 Diplococcus pneumoniae、溶血性連鎖球菌または溶連菌 Streptococcus pyogenes、 黄色ブドウ状球菌 Staphylococcus aureusの名が示すように、双球菌=2連結状態や、連鎖(状)球菌=連鎖状(数珠 じゅず状に球が長く連結)であったり、 あるいは、ブドウ状球菌=ブドウの房を構成する実のように、一定の塊を示すが明確な配列を示さないなど、集合体としての形状に違いがある。
さらには、球菌には規則的な配列を示す一群の細菌がある。サルシナ Sarcina(サルチナという人もいる)属である。 8個の球が各2個づつ3次元的に配列した形状、これをパケット packetと呼ぶ。日本語訳としては小包が適訳である。 別ページに、Sarcina、パケット、小包などの用語について、もう少し説明を加えた。
細胞集合体から細胞分裂面を推定する
桿菌の多くはその長軸に直交する面で細胞分裂すると書いた。それと同様に、連鎖球菌もまた長軸に直交する面で細胞分裂すると考えるのが普通だろう。
だだし、球菌自身には長軸も短軸も無いから、後者の場合、結果的に観察される連鎖の方向(数珠の糸に相当)を長軸と考える。
つまり、これらの細菌では、細胞分裂面は一定の方向に固定されている。それに対してサルシナでは、結果的にパケットを形成するのだから、
細胞分裂は3次元的に直交する3つの面で順次行われると考えるのが合理的だ。これに対してブドウ状球菌では、細胞分裂面が一定でなく、ランダムないし不定であると考えられていた。
(文献など下記参照)
1970年代には未だ細胞分裂面を詳しく解析する技術に乏しく、顕微鏡下でたまたま細胞分裂の途中を観察することはあっても、実証することは困難だった。
さらに、パケット形成細菌は平面的ではなく立体的であり、顕微鏡の焦点を上下に微調節しないと全体を見極めることが困難だった点もある。
松橋教授のテーマとその背景
上記のことを踏まえて、ブドウ状形態を示す細菌とパケット形成細菌を使用して、細胞分裂面の制御の機構を解明しようとするものだった。 この発想の背景には、動物の初期発生過程に見られる現象、卵割(らんかつ cleavage)があり、そこでは細胞分裂は3次元空間で直交する3つの面で順次生じる。 もう少し詳しく卵割。 当時もまた今も、複雑な現象をより簡単な実験系で解析しようとする流れがある。高等動植物より下等生物、真核生物として最も簡単な酵母、さらに下がって微生物を材料に用いようとする流れで、モデル生物系と言われる。実際に、遺伝暗号は大腸菌で解読された。よって卵割における細胞分裂面の3次元的制御の解明を将来目標として、まず微生物系で解析しようと発想されたと伺っている。
結果
1)ブドウ状形態型(とまでは正直言えないが、不規則的な細菌細胞集団を形成する)細菌であるMicrococcus lysodeikticusを、培養条件を変えることによって パケット形成型に変換できた。また、パケット型形態を示す突然変異体を分離できた。さらに、その突然変異体では細胞表層にある多糖物質であるタイクロン酸が欠失していることを見出した。 つまり、タイクロン酸はこの菌では細胞分裂後に嬢細胞同士の接着力を減少させ、互いに滑りやすくなり、結果的に、不定型細胞集合を作っていると結論した。 このように、細胞間の接着力を弱める作用による集合体の形態変化を先行して見出していたが、突然変異体のインパクトの方が大きく、こちらの論文が先行した。
2)逆に、規則的な巨大なパケットを形成する Micrococcus rubensで、培養液のMg濃度とリン酸濃度を極端に低下させると、娘細胞がバラバラになることを示した。
3)ブドウ状形態を示す代表菌株である Staphylococcus aureusから、パケット形成型の突然変異体を分離した。 また、走査型電子顕微鏡による解析で、パケット形成型変異株でも、また元のブドウ状集合体を作る親株でも、直交する面で細胞分裂が生じていることを示した。
結論
これらの細菌群では、基本的に、互いに直交する3平面で細胞分裂が生じていて、見かけの細胞集合体は、細胞分裂後に互い強固に結びついているのか、 ゆるく結びついて滑ったりして位置を変えるのか、という違いに基づく現象であることを解明した。そうした表現型に細胞表層の多糖類が関与していることを示した。
関連する事柄
われわれ日本人は空間表現として、上下前後左右をすぐに思いつく。しかし、細胞集合体形成における3つの直交する細胞分裂面をどのように英語で表現したらよいか、当時大変に悩んだ。
これがきっかけとなって、空間時間の日本語英語表現を深く考えるようになった。
「
ブドウ状球菌のブドウ状集合体形成は細胞分裂面が不規則であるからだ」という教科書の記述を訂正したという”喜び”はあったが、この点でのpriorityはその後どうなったのか。
さらには、これらの研究で走査型電子顕微鏡写真が重要であったが、その関係者のauthorshipについて、今ならどう考えているのか
について、次のページで記載したい。 未完です
発表論文
M Yamada, A Hirose, M Matsuhashi. Association of lack of cell wall teichuronic acid with formation of cell packets of Micrococcus lysodeikticus (luteus) mutants. J. Bacteriol. 123, 678-686, 1975. PDF
M Yamada, T Koyama, M Matsuhashi. Interconversion of large packets and small groups of cells of Micrococcus rubens: dependence upon magnesium and phosphate. J. Bacteriol. 129, 1513-1517, 1977. PDF
T Koyama, M Yamada, M Matsuhashi. Formation of regular packets of Staphylococcus aureus cells. J. Bacteriol. 129, 1518-1523, 1977. PDF
J. Bacteriol.は米国微生物学会の学会誌であり、当時も今も、微生物学領域におけるトップジャーナルの一つである。 (少なくとも)1970年代の同誌の論文は現在Open accessとなっており、ScanPDF版が誰でも見られるようになっている。 パケット型細菌の顕微鏡写真や走査型電子顕微鏡写真など、興味のある方は各PDFにセットしたリンクから御覧ください。