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空間と時間を表す用語

言語は、しょせん人間中心の表現である

前ページ 「チコちゃんに叱られる」でのテーマ 鏡はなぜ左右逆に映る? の中で、 「左」 の定義(説明)の2つを比較し、広辞苑より吉村教授の表現が勝るとした。 その第1点目 「立って」の挿入である。「立って」が加わることによって人間味が加味される。「立って」の定義(概念の明確化)は必要かもしれないが、国語辞典レベルでは充分だろう。  

人間中心主義の最たるものは腐敗と発酵 fermentationである。微生物の営み(生体物質の変換、つまり代謝、また結果としての微生物の増殖も含む)の結果、 人間にとって都合の良い結果を得る場合に発酵と呼び、不都合であると腐敗と呼ぶ。まことにご都合主義だ。微生物の作用という点ではこの両者に何らの違いもない。

言語学の発達とともに拡張され、形式言語、記号言語(コンピューター)さらには動物のコミニュケーション手段も含む体系となっていて多くの論争がある。 私はそこまで踏み込まない。あくまで自然言語と そこから派生する学術用語のレベルに限定した考察であることをお断りしておく。

人類が言語を獲得していく過程での初期段階は、具体的な物あるいは行動に名前を付けたであろう。今日、感嘆詞と呼ばれる用語は文脈の中では充分意味あるが、 初期の段階では動物のコミニュケ―ションに近く、ここでは考えない。
抽象化された概念としての空間表現の最初の言葉は「あっち(に相当する当時の言葉)」ではないだろうか。片腕をある方向に向けながら。 「指差す」という表現がより妥当だが、指の動きは後から発達したのではなかろうか。 また、猿の一員として木にも登ったであろうから、木の実が落ちる方向として「下」の概念を示す言葉も得たであろう。 やがて太陽(月また星)の運行に関係する方角などの用語も得たと考える。

そうした過程は考慮するとしても、空間を表す言葉が一応そろった段階以降での、概念として整理していったであろう過程を考察する。 しかし、発達史というようなレベルの話を書くには私の知見は乏し過ぎる。一般的というよりは少し学術的なレベル、つまり科学を記述する場で現在使用されている基本用語について、 その成り立ちは少しは考察するものの、それよりも、そうした基本用語を結果的に用いるようになった根源的な要因を探索する。

上下

3次元空間を表わす用語としてまず、上下を規定したと考える。正直言って、日本語あるいはそこに多大な影響を与えた中国語でそう言い切って良いものか悩ましい。 しかし後術するように、英語(およびその基となった欧州の各国語)と共通するのは上下だけである。またこの考え方自身に私の持つ欧米語概念が影響しているとも言える。 それはともかくとして、このストーリーではとりあえずここから始めよう。

上下 は基本的に(数学的意味で線)であり、方向である。いうまでもなく、重力の方向によって規定され、重力は下向きである。

今日的知見に基づけば、地球は丸いから、上下軸の方向は場所場所で異なり、つまり局所的 localであり、絶対的な方向を示すものではない。 言い換えると、異なる地点における上下軸は互いに平行ではない。地球の反対側では上下の方向が逆転する。

次に、上下軸には明確な中心点が無いという特徴がある。相対的な上下であり、比較して示すことが多い。たとえば、臍より上。 しかし、視線は多分に意識されていて、目の位置から上下に区分することもあるだろうが、目の位置が絶対的ではない。 この点はのちに述べる前後、また左右の概念との相違点である。

上下をまず軸とここでは規定した。しかし言葉が拡張されていく過程で領域的に変化していくのは当然である。つまり数学的な意味で、線から領域(ある範囲)へと拡大し、 「前方斜め上」という表現も可能になる。さらに、上下が水平方向にも転用される極端な例すらある。
今、目の前の机に1枚の白紙(A4サイズの印刷用紙としよう)を置いたとする。その場合、紙の「あっち」側の辺を指差して、ここは?と尋ねれば、ほとんどの人達は「上」と答えるに違いない。 このポイントは大変重要で、後の対面/鏡像の説明で使用する。ちょっと出しすると、
両腕を広げて横一列に並んだ数人の集合写真(顔が映っている) の右端に最も近く位置するのは、向かって右に位置する人の左手である。

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