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空間と時間を表す用語

NHK番組 「チコちゃんに叱られる」でのテーマ 鏡はなぜ左右逆に映る?の回答を求めて順次進めている。 前ページで 前後まで説明した。次は 左右である。

左右

まず最初に、左右の概念は、上下、前後の概念を規定して初めて成り立つ概念であることを強調しておく。 このことは「チコちゃんに叱られる」で吉村教授も述べていたことだが、番組全体として強調されてはいない、極めて重大なポイントだと私は考える。。

次に、上下の軸、前後の方向に比べ格段に、左右には線的概念と言うよりは領域概念が強い。つまり、吉村教授が「東側」と述べた「側」である。 左右には、上下軸と前後軸を含む平面で明確に区分することができる。立った姿勢で正中線を含む面であり、正中面ともいう。

このことは、次のことでも示される。上下あるいは前後の場合、そのまさに中心軸と方向を示す言葉:
ま上(真上) ま下 まん前 ま後 と言葉が用意されているが、ま左 ま右 と言う人はまずいないだろう。強いて言えば 左のま横 右の真横。

後に英語における3次元空間の表現を述べるが、left-rightは人体の左半分と右半分に由来する。日本語さらに中国語における左右の起源についてはよく知らないが、 右大臣などの用法から、側の要素が強いのではなかろうか。

左右は基本的に領域である。しかし3次元空間であるから第3の軸にも名称を与えなくてはならない。したがって、第3軸を左右軸と呼ぶことがある。 特に、動物の発生学分野は近年の遺伝子研究・分子生物学研究と融合し、格段に進歩してきた。そこでは第3の軸を表す用語として左右軸の名称が定着している。 ヒトの心臓のように左右非対称性は確かにみられる。その説明や解明に便利だからである。しかし、これらは学問の発達に伴う変化であり、人の認識において現在でも、 上下と前後に比して左右には線的要素が小さいと私は考える。

補足:予定していた「英語での空間表現」の整理と執筆がなかなか進まないので、とりあえずリンクを紹介する。
right 「右」はなぜ「正しい」の? 
センター試験に出題されたかの裏は取っていないが、本筋は私の知見と同じである。むしろもっと積極的に、「正しい」という概念が先で、それが「右」を表わす用語に転用された。

私の 左右の定義

左右とは、3次元空間における直交する3軸の内の1つの軸を表現しようとするものであり、上下軸と前後軸、およびそれらの方向が決定されて初めて決定される。 上下軸・前後軸の両者を含む面で区分され、ほとんどのヒトで心臓の位置する側を左と呼び、その反対側を右と呼ぶ。

「チコちゃんに叱られる」でのテーマ 鏡はなぜ左右逆に映る? のはじめにで 前もって掲載しておいた。
定義というのは少し言い過ぎで、辞書の説明書き 程度のことである。また、用語の第一義に当たるもので、基本概念から拡張されていくのは当然である。
「ほとんどのヒト」としたのは、心臓逆位のヒトがごく少数いるためである。たとえばKartagener症候群。
私の記述では、ヒト、人、人間と意図的に使い分けている。カタカナ書きのヒトは生物学的な要素の大きい概念であり、人、さらに人間と進むにつれ、社会学的要素の強い表現である。

広辞苑などの定義を 私が嫌う理由

1つ目は、先に記載したように、人間性を加味したいという私の主観である。
2つ目は、説明に使用されている東西南北に関わることである。日本語の多くの辞書(さらには私が見たいくつかの英英辞典でも)左右の説明に東西南北が使用されている。 東西南北は一般的には「方角」であろうが、同時に「方位」の概念の基準線でもある。そのどちらであるか明記されていない。また、方位の概念とすると、数学的概念での線であり、 少しの幅をも許容しないからである。これまで記載してきたように、上下前後左右にはそれぞれ固有の線的要素と領域概念の多寡がある。最も領域概念が強い左右に、方位や方角を用いるとは不適当である。もっとも「東側」と積極的に領域概念であると規定するならばこの問題は解消する。しかしそれでも心臓の位置にこだわりたい。

左右の定義と説明が済んだから、「チコちゃんに叱られる」における「鏡はなぜ(左右)逆に映る?」のテーマに進みたいのだが、 その前に、対面する人の左右について記載する。それとの比較が重要なのだ。


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