空間と時間を表す用語
NHK番組 「チコちゃんに叱られる」でのテーマ 鏡はなぜ左右逆に映る?の回答を求めて順次進めている。 前ページまでに 3次元空間の基本軸である 上下・前後・左右の説明まで済んだ。次は 対面する人の左右について である。
対面する先生は反対に曲げていた
私が小学校の低学年の頃の思い出である。小学校の校庭に朝礼台(たしかに朝礼にも使用したが、他の機会にも使用され、なぜこの名がついたのかは知らない。 いま時、朝礼台と言って通じるのか不安だったが、モノタロウにもAmazonにも朝礼台として商品が並んでいた。一部では号令台ともいうらしい)があり、先生が登壇し、 挨拶の後にラジオ体操するのが常だった。ラジオ体操第一では5番目の運動で左右対称性が初めて崩れる。体を横に曲げる運動、『右腕を上げ、体を横に曲げましょう』とのラジオ音声とともに、 体を左に曲げ倒す。朝礼台の前に整列した、私を含む大勢の児童が一斉に左に曲げ倒す。しかしこの時、朝礼台の上の先生は右に曲げ倒している。 仮に、朝礼台が南面している(多くの学校でそうだった。これは校庭の日照との関係があるのだろう)とすれば、先生も児童も私も、西に曲げ倒している。 当時、私はこの本質を理解できていたので違和感は無かった。しかし小学校といえども高学年になると、先生一人反対方角に、つまり上の状況で東に曲げ倒していたが、その時もまた 違和感は無かった。
私の研究生活人生で、顕微鏡下で細菌を扱う機会は多かったので、左右の問題はずっと残っていた(顕微鏡像は上下と左右が共に逆転)。英語論文を書き、また特に教えるようになって、ますます言葉の意味を深く考えるようになった頃、この左右問題についても一層興味が増し、数人の小学校教員に『いつ頃こうした指導方法を切り替えるのか』と尋ねたことがある。しかし、『小学校ではそんな風に教えていない』と 言われたことがあった。小学校ではそうかもしれないが、今でも近所の保育園の保母さんが『右手を上げて』と声出しながら、自分は左手を上げているシーンを見かけるし、 家内に聞いた話では、中高年初心者向けのダンス教室で『右に体を倒して』と言いつつ、先生は左に倒すシーンもあるという。
この対面した場合に、目の前にいる人の右手が自分の左方向に位置するという逆転の認識・理解こそ、左右概念の基本的理解、さらには鏡像問題における最重要ポイントであると考える。
視点の移動
対面した人の左右が逆転していると理解する過程の本質は視点の移動だ。言い換えれば、相手の立場に立つ という人間の認識様式の1つが機能しているからと私は考える。
観察者=自分 の視野では左に位置しているけれども、もし自分が移動して対面する相手の場所で、(観察者としての今の自分に)面して立ったとしたら、今自分が見ている左に位置している手は 移動したとする自分の右手と
呼ぶにふさわしい部位だろうと想像する。つまり、観察者である自分の視点ではなく、対面している人自身の視点に移って 右手であると判断している。
これを、他者への共感 あるいは感情移入と言うのは少し大げさかもしれないが、しかし共感へ至る初期過程とは言えよう。
感情移入は大げさかもしれないと書きつつ、次のシーンを想定してみよう。
シーン1 私は表彰式に臨んだ。両手を前に差し出して、賞状を受け取った。私の右手は賞状の右端を持ち、
私の左手は賞状の左端を持っている。
シーン2 私の娘に子供が生まれ、私にとって初孫だ。生まれた数日後に抱かせてもらった。私の右手は孫の左脇の下に、
私の左手は孫の右脇の下にあって保持している。
向かって右などの「向かって」は視点を固定化する
左右に関わる方向性を示すのに、向かって右 とか 向かって左 という言い方をすることがある。これは、多くはその言葉の発言者の立場から見て ということを意味する。
もちろん、発言者自身に限ることなく、その状況あるいは文脈で主体が明確であれば使用できる。つまり上記でいう視点の固定化である。
一方、前後軸も人の移動によって可変である。前後に関する表現では左右より、さらに丁寧である。対面した人との会話では、「あなたの後ろに物が落ちていますよ」とか
「私の前方500mに目的場所があります」などと主体を明確にするか、局所 localに固有の方角を使用して混乱を防ぐのが普通だ。
上下軸については全く問題とならない。局所 localでは共通だからである。多くの生物は一時的に上下逆転できたとしても(人の逆立ち)永続的でない。
しかしサルの仲間であるナマケモノやコウモリは上下逆転の時間が相当長いようだ。こうした生物種が言語を獲得していったら、たとえばコウモリでいえば、飛ぶ時の上と
休息中の上を区別するのだろうか と想像するのが楽しい。
なお、ここで視点の移動と記したが、認識様式・心理の面での視点である。
数学的に言えば、対面する人 とは 回転対称体である。地面と言う平面に立てた垂線を軸に回転させる。
人は分身を作るわけにはいかないので、合同とはとても言えないが、あくまでも一つの人体各部の位置関係として、回転対称体の構造に何ら変化を生じさせない。
このページの説明で方角を使用した。すでに前後の説明で、運動によって方向が変わりうることを記し、また左右も前後に規定されることを述べた。
したがって、このページの説明をいちいち観測者の視点、あるいは対面者の視点と断らないと、それぞれの左右を正しく伝わらない。その点で方角は局所 localに固定された方向を示すのに容易になるからである。
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