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空間と時間を表す用語

NHK番組 「チコちゃんに叱られる」でのテーマ 鏡はなぜ左右逆に映る?の回答を求めて順次進めている。前ページまでで、 3次元空間の基本軸である 上下・前後・左右の説明とともに鏡像における左手右手までの説明を一応終え、医療現場における左右に関わる話をしている。 人体解剖図とX線写真の話をした。X線写真をひっくり返して説明した方が患者にとって理解し易い場合がある、との私の指摘に対して、 有用な知見を与えてくれた医師達の話を紹介する。

美容整形の現場

1人目は形成外科医である。彼自身は関与していないと言っていたが、彼の周りには何人か居るのだろう、その仲間達からの知見である。 美容整形では患者、いや失礼、依頼人が来ると、まず顔写真を撮影するのだそうだ。もちろん依頼が顔の施術である場合だが、圧倒的に多い需要だ。 そして、医師と依頼人がその顔写真を共に見ながら施術方針を話し合うのだそうだ。
その時に、「その写真をひっくり返して」と言う人はいないと彼は言う。もちろん、紙に焼かれた写真をひっくり返したら白紙であり、ここでは”裏焼き”が正しい。 「医師にそんなこと言い出せないからでは?」と私が問うと、「そうではない」と彼は言う。 続けて、「もし自分が担当医なら、『それが他人の見ているあなたの顔です』と言うだろう、と。私はその時、妙に納得できた。

私は退職後、脳科学者の茂木さんが上梓された「化粧する脳」を手にした。
  化粧する脳 茂木健一郎、恩蔵絢子 (著)
  集英社新書 2009年
人は無意識のうちに、他者の顔から心を読み取っている、というのが著者らの結論で、それが脳にどのように影響し、また影響されているかを紹介する本である。 その思考過程の一つとして、化粧する女が取り上げられ、鏡に映る(化粧によって変化していく)自分を見つめながら、他者からどのように見られているかを意識して化粧作業していく心理が述べられていた。また、同一人物の写真像と鏡像の顔写真を並べ、それらの印象を調査した実験も紹介されていた。 まさに、その形成外科医が述べた本質である。
なお、最近は(若い)男も化粧するそうで、ジェンダーイーブンの観点から一文を添えておく。

手のX線写真

2人目は内科医であり、手(手首より先)のX線写真について指摘した。手のX線写真なんて骨折の時くらいだろうと思われるが、骨密度の測定に頻繁に用いられる。 片手は非対称であり、親指が少し離れた方向になっているので、そのX線写真が左右どちらの向きに置かれたとしても、容易に向きを判断できる。
もう一つの大きな理由は、手は手のひら(掌)側からも、手の甲の側からも見る機会があり、また、わざわざ鏡に映すまでもなく直接見ていることが多いだろう。それが顔との大きな違いだ。

X線撮影時には通常、掌を下にして机の上に押し付け、上に置かれた装置からX線が下向きに照射され、掌の下に置かれたフイルムが感光することになる。 検索サイトで「右手X線写真」と画像検索すると、親指が向かって左となっている写真がやや多い。これは手の甲から見た像に相当し、撮影時のX線方向に一致する。 つまり、胸部X線写真とは逆に、フイルムの乳剤面を上にして置いた像である。

一方、「右手」とだけ入力して画像検索すると、両手や、実は左手(親指で判かる)も紛れ込んでいるが、それらを除くと、掌側から見た像がやや多い。 このことは、生命線や運命腺など手相に関係するサイトが多いことに起因すると考える。そこで「手相」と入力し、画像検索する。 例により無関係な像を除く。当たり前ではあるが、掌側から見た像がほとんどである。 右手か左手かは手相を見る人(以下、易者と呼ぶことにする)の立場・見解(どちらの手相を重要視するのか)に依存するだろう。

手相では指先が上を向いている

ところで、ここまでで気づかれたであろうか?手の像のほとんどが指先を上にして配置されている。その方が”納まりが良い”という感覚があり、指先が下向きだと 少し違和感を感じてしまう程、意識が固定化されてしまっている自分がある。単に”置かれている”だけではなく、運命腺などの記述が指先を上にした状態で読めるようになっている。つまり、手相の社会では、手相を気にする人達向け(一般者向け)の書としても、また、易者の教育の場にも、 指先を上に向けた図を使用していることが判る。

易者の実践の場を想像しよう。多くの場合、易者と依頼者とが対面し(両者とも腰かけていることが多い)、依頼人が手を易者に向けて差し出し、 易者は拡大鏡を使って依頼者の掌をのぞき込む。易者の見ている掌は指先が下向きだ。ここで”下向き”というのは物理学的な重力方向ではなく、 水平に置かれた白紙用紙のあっち側を”上”という様に、こっち側という意味での”下”である。

このように手相の社会では、先達である易者の側で方向を逆転させ、依頼人に易しい向きで説明している。 なんとサービス精神に溢れていることだろう。 それに対して医療の現場は患者中心の医療と言いつつ、医師の視点でX線写真を提示している。

目で見て脳で視る

最後にもう一節加えたい。
我々の眼はレンズ眼と言って、カメラの仕組みによく似ている。網膜に移る映像は上下反転している倒立像である。左右も反転しているから鏡像ではない。 その倒立像を、平面で180回転させた正立像として認識している(はずだ。他人の認識を”真に”確認する手段を知らない)。 また両眼視(2つの像を統合して奥行きを認識できる立体視)、盲点錯覚など 視覚に関する様々な現象が昔から知られていた。最近の脳科学・認知科学の進展に、こうした視覚の認識解明が寄与した。しかし、脳での認識の全容解明にはさらなる研究が必要だろう。
私の文章でも、見る視るを意識して使い分けてはいるが、やがて、眼で見て脳で視ると表現する時代が来るだろう。


NHK番組 「チコちゃんに叱られる」でのテーマ 鏡はなぜ左右逆に映る?に関連した話はここまでとしよう。最初のページから連続して読んでくださった方、 私の長い話に付き合ってくださってありがとうございました。
空間と時間に関する数学的・英語表現は、アドバンスコースとし、独立しても読めるようにする予定だ。